ジャズとダンスとライト・アート 第2部
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2002年11月3日(日) 愛知芸術文化センター2階デッキ
主催:  あいち芸術文化フェスタ2002開催実行委員会、財団法人自治総合センター
出演・音楽: 山下洋輔(ジャズ・ピアニスト)、植村昌弘(ジャズ・ドラマー)ほか
ダンス: ミエ・コッカムポー(振付家・ダンサー)
ライト・アート: 日比野克彦(美術家)

1992年10月、愛知芸術文化センターが建設された時、その設計コンセプトは<都市の門> であった。愛知芸術文化センターが、この地域の文化的アイデンティティの拠り所となること、 そして同時に、この地域の文化創造の担い手となること。この言葉は、そうした愛知芸術文化 センターの目標であり、夢を表すものであった。

そして今年、開館10周年を迎えたこと、及び栄公園との連絡橋が完成することを 祝うために、記念事業が行われることになった。
この企画では、愛知芸術文化センターの2階デッキ屋外を会場に、連絡橋を越えて、 開館時の夢を再び宣言した。複合文化施設である愛知芸術文化センターの三つの要素―音楽・ 舞台芸術・美術―が、それぞれの個性を主張しながら、共同してひとつの作品を生み出した。

愛知芸術文化センターを背に2階のデッキに設営された舞台上には左手にピアノ、 真中にドラムス、右手に画架が置かれ、日比野の描いた絵が、左上の巨大ガラスの壁面に 投影されるようになっている。デッキを埋めた観客の間から現れたミエは山下のピアノに 合わせて踊りながら舞台上に上がり、ピアノ、ドラムスとのそれぞれのコラボレーションを 楽しむ。途中、舞台上での着替えを挟み、大胆なビキニにサングラスといった出で立ちで 日比野とのお茶目なやりとりを行なう。 それらのシーンを日比野が描き、それがスクリーンに映し出され、またそれにピアノや ドラムスが反応して、というように、優れたアーティストたちのコラボレーションは 飽きることなくいつまでもつながっていくかのように思われる。 最後はマリリン・モンローの格好をしたミエが10周年を祝う「ハッピー・バースデイ」 を謳って終わる。
外観

日比野克彦によるライトアート

左より、ミエ・コッカムポー、日比野克彦、山下洋輔、植村昌弘
このコラボレーションでは、音楽家たちによる演奏、ダンス、そして愛知芸術文化 センターの巨大な壁面に投影される日比野克彦による絵画が、互いに刺激し合いながら 即興的に展開され、センター外観を染め上げ、まさに10周年に相応しい祝祭的空間を 作り出すことに成功していた。
11月の夜の屋外は、非常に寒い日であったにも関わらず、多くの人だかりが 崩れることもなく、数百を数える多くの観客が最後まで熱いコラボレーションを 見守っていた。
(唐津絵理)

* 撮影 : 南部辰雄

プロフィール
 山下洋輔 (ピアノ)
1969年山下洋輔トリオを結成、フリー・フォームのエネルギッシュな演奏でジャズ界に 大きな衝撃を与える。88年山下洋輔ニューヨーク・トリオを結成。 国内のみならず世界各国で演奏活動を展開。世界中のジャズ・ファンから圧倒的な支持 を受ける、日本の誇るナンバーワン・ジャズ・ピアニストの一人。02年東京オペラシティ でニューイヤー・コンサート『山下洋輔の超室内交響楽』を開催、「室内楽とジャズの 音楽細胞同士が激突するコンサート」と絶賛を集める。

 ミエ・コッカムポー (振付家・ダンサー)
フランス人の父と日本人の母のもとジュネーヴで生まれる。 1989年にジュリアード音楽院に入学。その後はフランスに活動の場を移し、 90年よりダニエル・ラリュー(トゥール国立振付センター)などのカンパニーで活動。 93年愛知で開かれた第1回世界バレエ&モダンダンス・コンクールで金賞とニジンスキー賞を ダブル受賞。96年愛知芸術文化センターのコラボレーション「舟の丘、水の舞台」に出演。 2000年、愛知と神奈川においてカンパニーK.622の初来日公演を行う。02年池田亮司との 共同制作で「Trace」を発表。

 日比野克彦 (美術作家)
1958年岐阜市生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修士課程デザイン専攻修了。 1995年より東京藝術大学美術学部助教授。82年に第3回日本グラフィック展大賞、 83年に第30回ADC賞最高賞、95年、第46回ヴェネツィアビエンナーレに出品参加、 1999年度毎日デザイン賞グランプリを受賞。デザイン、絵画、舞台美術、映像、 パブリックアートなど、多岐にわたり活動。近年は各地で一般参加者とその地域 の特性を生かしたワークショップを多く行っている。
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