愛知県芸術劇場小ホール
第1回 「装うからだ−変身の夢」 1993年12月3日(金) 19:00
第2回 「越境する身体−逸脱するからだ」 1994年1月21日(金) 19:00
第3回 「身体というノスタルジア」 1994年2月23日(金) 19:00
コーディネーター: 萩原朔美(エッセイスト)
<関連企画>
フォーラムイベント 「モンゴル民謡×ヴァイオリン」 1994年1月29日(土) 地下2階フォーラム
出演者: 伊藤妙子(モンゴル民謡)、 澤民樹(ヴァイオリン)
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第1回「装うからだ−変身の夢」 1993年12月3日(金) 19:00
出演者: 山本寛斎(ファッションデザイナー)、 荻山幸子(舞踊家)
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文化人によるトークと実際に体感するパフォーマンスを同時に楽しむことのできる
シリーズ、イベントークのパートV。これまでパートI、パートUで眺めてきたテーマ
「身体」を、さらに深くさまざまな角度から切りとった。
「身体」は人間にとって最も身近でありながら、考えれば考えるほどよく解らない
謎として私たちの前に立ち現れる。
パートVでは「世界で一番近くにあって遠くにあるもの」というメッセージを携えて、
身体という「巨大な疑問符」のさらなる可能性を考えてみた。
イベントークパートV・第1回のテーマは「装うからだ−変身の夢」。
人間のからだが最初に外界と接する皮膚。人間は皮膚にさまざまな衣装を纏うことにより、
自己を変え、社会との関係を作り出してきた。そして現在も、装いのなかに自らの夢や
想いを託す。
まずファッションデザイナーの山本寛斎が、近年手掛けている空間プロテュース事業
のなかから、1993年にモスクワ赤の広場で行った「ハローロシア」のビデオを中心に、
非日常の場、祭のもつ社会的な役割と身体との関わりを語った。
パフォーマンスとトークを通して、アーティストの生の声を聞くことのできる
イベントーク。なかでも今回の活き活きと自らの世界を生きている出演者の姿は、
我々により身近な存在として、人間の身体に秘められた「生」なる力の強さを
感じさせていた。
(唐津絵理)
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第2回「越境する身体−逸脱するからだ」 1994年1月21日(金) 19:00
出演者: 飯沢耕太郎(写真評論家)、 森崎偏陸(元・演劇実験室「天井桟敷」)
上映作品: 寺山修司監督 『ローラ』 (1974年9分16m/m)
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写真が誕生して約150年、映画の誕生から約100年を迎える今日、およそ一世紀に渡る
時間の中で、これらメディアは少なからず人間の身体にも影響を与えてきたのでは
ないだろうか。
前半は、写真評論家・飯沢耕太郎によるスライドレクチャー。
写真が誕生した19世紀は、合理的・科学的思考が確立した時代でもあった。
当時、この様な思考法、ものの見方は、写真と同一視して考えられる場合が一般的であった。
パリ警視庁の書記、アルフォンス・ベルティオンが、犯罪者を同定するために、
人間の身体やその部分を計測するよう撮影した「ベルディオン法」などは、その一例である。
この時代、写真は身体を固定化し数値化する装置であった。そして、20世紀の写真家たちの
様々な試みは、本来は、捉え難く、あやふやであり、流動的で、謎めいた存在である身体の
姿を取り戻し、新たに作り出してゆくことだ、と語った。
後半は寺山修司の実験映画『ローラ』(74)を上映。これは、フィルムの映写と人間の
行為が密接に結びついた一種の映像パフォーマンスである。上映終了後、
コーディネーター・萩原朔美と当日のゲスト2人による鼎談が行われ、演劇と映画を
横断的に捉えていた寺山の方法論、身体観について話題は広がっていった。
『ローラ』は、極めて上映機会が稀な作品のということもあり、会場には多くの
観客が詰めかけ、熱気あるイベントとなった。
(越後谷卓司)
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第3回「身体というノスタルジア」 1994年2月23日(金) 19:00
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山口昌男(文化人類学)、 伊藤妙子(モンゴル民謡)、 村山二郎(篠笛)、
松波千津子(オペラ)、笹島玉緒(ピアノ) |
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身体をテーマに繰り広げてきたイベントークPart3の最終回では、身体そのものが
楽器となる「声」を取り上げ、人間の身体に潜む能力や可能性を改めて考えてみた。
地元で活躍中のオペラ歌手、松波千津子によるアリアから始まり、続いて伊藤妙子により
モンゴル民謡が歌われた。伊藤妙子は、若手ながら日本人でただ一人のモンゴル民謡の
歌い手であり、観客にとっては、非常に貴重な歌声を聞く機会だったといえよう。
2つの演奏は、まったく異なるがそれぞれ美しい響きをもつ。
またどちらも聞き手を圧倒し感動させるパワーがあり、声のもつ力、身体のもつ力を、
改めて体感させてくれるものだった。
パフォーマンスのあと、練習方法や歌い方などについて、それぞれの歌手が語った。
実体験に基づく彼女たちの言葉も、同じ身体でありながら、異なる可能性を秘めている
ことを、実感させてくれた。
続いて行われた文化人類学者の山口昌男によるトークは、幅広い視野から日本人の声
について語るものだった。40分という時間では、とても語り尽くせない内容であり、
続きを望む声がアンケートでは多かった。
「声」という最も身近な話題をめぐって、2時間という短い時間の間に非常に多くの
プレゼンテーションがなされたイベントークPart3の最終回だった。
(藤井明子)
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Photo:南部辰雄 |