イベントーク Part 4

   うつしとられた身体−からだを翻訳する
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うつしとられた身体−からだを翻訳する
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愛知県芸術劇場小ホール
第1回 「広告・デザインとボディ」 1994年12月2日(金)
第2回 「美術表現におけるからだ」 1995年1月27日(金)
第3回 「文学における肉体」 1995年2月24日(金)
 コーディネーター: 萩原朔美(エッセイスト)

第1回「広告・デザインとボディ」 1994年12月2日(金)
出演者: 柏木博(デザイン評論家)、 岩永嘉弘(コピーライター)
現代の芸術・文化をめぐる「トーク・ショー」と、今日の先鋭的な「パフォーマンス」を 連動させたオリジナルな催し『イベントーク』。開かれた入門講座的な性格を踏まえつつ、 最前線のアート・シーンに直に触れることのできる催しとして定評を得、今年はパートIVを 迎えた。テーマは継続して「身体」だが、今回は、文学、美術、デザイン、広告など、 直接身体を用いるわけではない「描かれた身体、表現された身体」に焦点を当てた。

第1回「広告・デザインとボディ」は前半に、デザイン評論家・柏木博が両者の関係に ついてトークを行った。柏木は、自己の身体は他者と区別する方法から、生物的、意識的、 社会的と3つのレベルに分類できるとし、社会的身体というレベルで身体が映画やCMから いかに影響を受けているかを論じた。また、さまざまな器具や機械のデザインについても、 それを用いる身体の行為を規定していると語った。


後半は、カンヌ国際映画賞やACC賞を受賞したCMから、身体行為を演技的、無演技的、 記号的、サブリミナル的に取り扱っている象徴的で興味深いCMを選択して上映を行い、 コピーライターの岩永嘉弘と、イベントークの企画コーディネーターでありエッセイストの 萩原朔美がコメントを加えた。

日頃常に私たちを取り巻く広告やデザインと、身体との関わりは、意識下のレベルにも 及んでいる。柏木のトークはその関わりを改めて認識し整理するものであった。 CMに描かれている身体は現実の身体の強調された描写であると同時に、逆に現実の身体の 行為に影響を与え規定してしまう。CMの上映を通して、このような状況に自分達の身体が 置かれていることが実感できた。

(藤井明子)

第2回「美術表現におけるからだ」 1995年1月27日(金)
出演者:  トーク/谷川 渥(國學院大学教授 <美学>)
パフォーマンス/『青い柱』 和栗由紀夫(舞踏家)、吉江庄蔵(彫刻家)

美術評論家の谷川渥は、人間の「皮膚」という概念による独自の芸術論を展開しているが、 今回の講演では歴史上における西洋と日本のそれぞれの彫刻表現を引きながら、 その「芸術観」の違い、ひいては「身体観」の違いについて指摘する。 ギリシア彫刻の理想的な人体像から判るように、西洋人の肉体の思想の基調となるのは、 第一に正確な比例によるプロポーションである。これに並んで重要なのが、 肉体が大きな塊りとして現前すること、すなわちマッス(塊り)の思想である。 これは、ルネサンス期以降のトルソ(イタリア語で「胴体」の意)概念へと引き継がれ、 これらを背景としてロダンは断片様式という新しい彫刻を生み出した。

ロダンに学んだ高村光太郎は、こうした西洋の彫刻思想を日本に移植しようと努めたが、 日本人であれば「抜け殻」を思い出す蝉を、昆虫のトルソとして捉えていたことが示す ように、両者の間にあって二つの身体観の断絶を象徴している。 日本語の「からだ」という言葉は空っぽ、中味の無いことを意味する。 暗黒舞踏を創始した土方巽はこの点で、「体の中の闇」とか「命がけで突っ立った死体」と いった言葉からも伺えるように、日本人の身体観を非常にうまく捉えていた。 土方に学んだ和栗由紀夫と皮膜彫刻の吉江庄蔵による公演『青い柱』は、 こうした近代以降の屈折した日本的身体観を、ある面で体現するものといえるだろう。

(越後谷卓司)



第3回「文学における肉体」 1995年2月24日(金)
出演者:  トーク/奥野健男(文芸評論家)、松本典子(女優)
パフォーマンス/『彼岸から』 吉増剛造(詩人) 、マリリア(歌手)、荒木経惟(写真家)

文学のなかでも、身体は頻繁に表現されてきたが、それは文字に表わされている以上の 力をもつ。奥野健男によるトークと女優・松本典子の朗読はそのことを十分に堪能させて くれた。朗読された三島由紀夫の「憂国」、太宰治の「皮膚と心」等の身体描写は、 「身体感覚」を呼び起こし、我々のイマジネーションの中に生々しく迫ってきた。

後半のパフォーマンス「彼岸から」は、全6シーンからなる、写真、詩の朗読、 歌唱によるコラボレーション。2台のプロジェクター操作により、荒木の写真が次々と 投影されていく「アラキネマ」。地上から5メートルのキャットウォークで歌うマリリアの 声が天からの叫びのように会場に響き渡る。

その切ない声が写真集『エロトス』の身体映像と重なっていく。続く荒木の夫人、 故陽子さんの写真を撮った『センチメンタルな旅』のスライドには、陽子夫人の死に 寄せて書いた吉増の詩『死の舟』の朗読が重ねられ、さらに切なく、死する運命にある 身体を感じさせる。

『石狩シーツ』と題された吉増の詩の生の朗読に、テープから流れる声を重ねて進んで いくパフォーマンスでは、映像、声、テープ、そして吉増の声を発する身体が、 現実と幻想の間交錯しながら強い身体イメージを生み出していた。

トークと朗読、1時間を越すパフォーマンスと、盛り沢山な内容の第3回は、今年度最後の イベントークとして、多くの人に多様な視点から身体を感じさせることのできた最終回で あった。

(唐津絵理)




Photo:南部辰雄

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