この企画を開催した1996年は映画生誕101年目に当たり、映画はいわば新しい世紀を
迎えたといえる。こうした状況の中で、近年、映画の歴史や映画的な記憶を踏まえながら、
それらを新たな視点で読み直してゆく試みが少なからず見られる。
例えば、アンドレ・S・ラバルトの「リュミエール」 (95) は、映画の発明者
リュミエール兄弟の作品群の哲学的なアプローチによる再構成であり、また、
ハルン・ファロッキの「労働者は工場を去っていく」 (95) は、"労働者"という
キーワードから映画史を読み直していった作品といえる。クリス・マルケルの
「アレクサンドルの墓」 (93) は、1900年に生まれ動乱の20世紀を生きたロシアの
映画監督アレクサンドル・メトヴェトキンを追悼した作品だが、同時にこれは20世紀の
メデイア史への独自の考察ともなっていた。
また、1990年から開始したぺーテル・フォルガーチの「プライベート・ハンガリー」
シリーズは、無名の市民が残した9.5mmや8mmなどのホーム・ムービーを社会学的な視点
から読み込み、20世紀前半のブタペストの市民の生活と歴史を独特に、かつ鮮やかに
描き出している。
こうした試みの象徴となる作品は、なんといってもジャン=リュック・
ゴダールの連作「ゴダールの映画史」 (89〜) であるが、ここでは過去の様々な映像素材を
縦横に引用しつつ、あたかもそれらをコラージュするかのように再構成し、映画を成り
立たしめる基本的な方法論であるモンタージュ(編集)を根底から問い直すかのようである。
この上映会は、こうした映画史・映画的記憶の解体/再構築という試みを、主として
ジャン=リュック・ゴダールのビデオ作品の系譜から振り返りつつ、特集形式で構成した
ものである。1995年12月の映画生誕100年記念事業、映画の発明者リュミエールと
パイオニアであるメリエスの特集上映会の流れを受けたこの企画は、引き続き多くの
熱心な観客の支持を得ることとなった。
また、最終日にはK.タヒミック監督を迎えオリジナル映像作品第5弾を初公開した。
(越後谷卓司)
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アンドレ・S・ラバルト 「リュミエール」(1995)
<主な上映作品>
「6×2」(76)
「ふたりの子供フランス漫遊記」(78)
「ゴダールの映画史」(89)ほか
クリス・マルケル
「アレクサンドルの墓」(93)
アンドレ・S・ラバルト
「リュミエール」(95)
ハルン・ファロッキ
「労働者は工場を去っていく」(95)
ぺーテル・フォルガーチ
「バルトシュー家」(88)
「ディシュとイェノ」(89)
かわなかのぶひろ
「私小説」1〜6(87〜92)
「私小説」(96)
大木裕之
「優勝−Renaissance−」(96)
<同時開催>
オリジナル映像作品第5弾
キドラット・タヒミック監督
「フィリピンふんどし 日本の夏」(96) * 初公開
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