舞踏公演 「楕円幻想」

     和栗由紀夫+好善社
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「楕円幻想」は愛知県芸術劇場小ホールのために新作・初演された、舞踏と映像の コラボレーション作品である。
日本人の身体性に基づいた舞踊表現である舞踏をとおして、 今日の身体の所在を確かめる試みであるとともに、芸術の諸分野を横断する コラボレーションの可能性を問う作品であった。

作品は迷宮を巡る男(和栗由紀夫)の冒険譚というゆるやかなストーリーがながれている。 迷宮は社会をとりまく状況であり、人間の身体宇宙をあらわすものでもある。 また、映像(=虚像)と身体が交錯しあうことによって生の存在がうきぼりにされると いった入れ子構造となっており、芸術性とともに今日性を合わせ持つ作品となった。

映像表現においては、スクリーンに映ったものを観賞するのではなく、オブジェ、 黒幕、振り落とし幕、ダンサーの身体等と互いに干渉し、響きあうことが目指され、 幾重にも重なり合う幻想を虚と実・光と影という側面から多様に表現することができた。 公演の観客層は若い人々、舞踏公演を初めて見るという人が多く、舞踏表現に親しむ 良い機会を提供できた。
(羽鳥直志)
1996年12月26日、27日
愛知県芸術劇場小ホール

舞踏公演 「楕円幻想」
作・振付: 和栗由紀夫
映像: 鑪(TATARA)

舞踏手: 和栗由紀夫、(好善社)堅田知里、
 池田ユリヤ、島田明日香、十亀脩一郎、
 鈴木康弘、北野浩喜、中沢礼子




AAC20 (97.5)
萩原朔美×和栗由紀夫対談より抜粋/要約

萩原の問 / 「楕円幻想」に和栗が何かに覆われて、閉所に押し込まれていく イメージがある点 (皮膜彫刻とのコラボレーション「青い柱」でも共通) に答えて。

和栗: 僕が好きだということ、舞踏が要請している部分の画面がある。 土方さんも皮膚、皮膚感覚ということを非常に慎重に扱っている。

ヨーロッパ人の肉体は塔みたいなものでレンガを積み重ねて構築していく。
日本人の体は上からは羽織、下からは袴で空気を包んでいる。 それがパッとなくなると何もない。自然と対立する人間という一つの容れ物としての 肉体があるということではない。

日本舞踊を見ているとその顔と手は確かに一つの存在を持っているが胴体まで想像しない。
あってもなくても煙のような、人形と一緒で、ただあるだけ。 内部があってそれが外部に表出するのが舞踏だと いうような一遍通りのものではない。

日本人には、特異な或いは、優秀な皮膚の ろ過作用というか通過作用があって、いつのまにか自然と身体が交流して、 対立構造を持たない。だから、スクリーンはそういう意味で一枚の膜で、 スクリーンの裏側はもう一つの現実があるかもしれない、そういう膜が何層にも 重なっている
(スクリーン以外に身体に映像を投影する実験的試みがなされたことをさして)。
Photo : 南部辰雄

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