2001年7月4日(水)〜2002年1月24日(木) 全21回
(ほかに、オプション2企画を開催) アートスペースA、ほか
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このゼミナールは、私たちの生きる同時代に生み出された現代芸術に親しみ、理解を深めることを目的にしている。
公演や上映、展示などを通じ、実際の作品に触れることは、いうまでもなく、芸術を享受するための基本的な方法である。
しかしながら、高度化、複雑化した現代社会を背景に生みだされる芸術は、同時代のものといいながらも、難解であるとの
印象があることも否定できない。イベントという一過性の事業では十分に言及することができない歴史的な背景や、あるいは
知っているという前提によって通過してしまう基礎的な事項などについて、通年で開催する連続講座を設けることにより、
触れる機会を作ることがその主旨である。
スタートして3年目となる今年度のゼミナールも、現代の芸術が成立する背景となっている、20世紀芸術の歴史的
展開や、根幹をなす思想などを解説し、その理解のための手がかりを与えるという、一種の入門講座というべき基本的な
方向性を継承した。その上で、2001年に21世紀を迎えたことを踏まえ、この新世紀の芸術を展望するといった意味もこめて、
標題でもある「ポスト・モダンの再検討」を、新機軸として導入している。20世紀芸術を語る上で重要な、1920年代、60年代の
動向を紹介するとともに、今回は60年代後半にその端緒がみられ、80年代以降に顕在化したポスト・モダンの動きも照らし出し、
再検証することに重点を置いた。そのためベーシックなモダニズム理解とは一味違った視点から20世紀を考察することになり、
新鮮な切り口を提示する結果につながった。
文化情報センターでは、これまで「イベントーク」やコラボレーション公演などの事業により、従来のジャンル
区分にとらわれない、横断的な切り口や、複合・重層的な視点を提示してきた。ゼミナールも、映像、音楽、舞踊、美術の、
ジャンルを横断したプログラムを構成しているが、これは一般のカルチャーセンターなどでは得られない独自のものであり、
それが好評を持って迎えられているといえよう。なお、受講者の中から、親交を温めるためメーリング・リストを開設したり、
懇親会を開いたりするなど、自主的な活動ともいえる、新しい動きがあったことも特記したい。
(越後谷卓司) |
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総 論 |
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「ポスト・モダン」の思想・哲学的な定義は様々である が、芸術表現における時期的な区分としては、ほぼ1960年代後半から
90年代始め(湾岸戦争の開始によって、その終結とする見方が多い)を指している。この時期は、今日ある芸術の状況を準備した、
直接的に連続する時期でありながら、20世紀芸術の中で最も理解し難い時期とされていることも確かである。それは、例えば60年代
までは明確であった、芸術表現の先端を切り開いてきた前衛の概念が、明確な形では見えなくなり、その解体や変質が叫ばれると
いった、ある種の混迷した状況に突入したことが、理由として挙げられるだろう。
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飯島洋一
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本ゼミナールでは、これまで総論としてゲスト講師を招き、レギュラーの講義とは異なる視点の導入を試みている。今回は80年代の
動向として特徴的であった演劇と、ポスト・モダンを語る上で、はずすことのできない建築を取り上げた。演劇では、60年代以降の
動向をたどりながら、北村想や野田秀樹らの世代が何をもたらしたかに言及し、建築では、ポスト・モダンの概念と、造形的特徴に
具体的に触れ、さらに90年代に到って、その超克という点で注目できる場所性や歴史性の問題にも照明を当てた。
(越後谷卓司)
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美 術 |
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美術は、愛知県美術館で開催している企画展を、担当する学芸員のレクチャーの後、鑑賞するスタイルを、今年度も
採用した。学芸員による作品解説や、展覧会の企画や運営にまつわるエピソードを聴いた後、実際の作品を鑑賞するこの機会は、
これまでは判らなかった作品の側面が見えてきた、といった受講者の感想が聞かれるなど、好評であった。ポスト・モダンという
テーマとの関係では、所蔵作品を中心とする企画「時の旅人たち―1980年代 以降の美術―」が、時代的に重なり合うものであった。
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「養老天命反転地」実地見学
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また、初の試みとなる実地見学として、岐阜県にある、荒川修作/マドリン・ギンズの『養老天命反転地』(1995)を
訪れた。これは、90年代以降の美術を語る上で欠くことのできない重要作品であるが、特異な庭園ともいうべきその造形は、
実地に体験して始めてその本質に触れることが出来る性質のものであり、当日は秋の快晴に恵まれたこともあって、参加者は
ピクニック的な雰囲気で、豊かな時間を過ごしていた様子が伺えた。
(越後谷卓司)
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映 像 |
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ポスト・モダンという用語が、芸術において積極的に用いられ、かつ具体的な造形的成果をあげたのは、建築と
ダンスの二つのジャンルに、ほぼ限られるといってもいい。したがって、映像においては、ポスト・モダン映画といった用語が
用いられることはなかったが、1960年代後半から顕在化する、ポスト・モダン的な思潮や、時代的潮流とは無関係ではなく、
その表現において大きな影響を被ったことは確かである。ゼミナールでは、20年代の「アンダーグラウンド映画」を源流とする、
一般に「実験映画」と呼ばれる、劇映画の対極に位置づけられるジャンルを中心に、60年代以降の動きを分析した。
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萩原朔美
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美術におけるミニマル・アートやコンセプチュアル・アートともしばしば関連づけられる、「構造映画」とその超克という問題や、一度
否定されたはずの、劇構造を構築するためにある物語性を再考察する試みが現れたこと、そしてこのことによって「劇映画」と
「実験映画」のジャンル区分自体が曖昧化していったことなどに言及した。さらに、このことを踏まえ、70、80年代よりその存在が
無視しがたくなっていった新しいメディアであるビデオが、ジャンルの逸脱や混交という現象を加速させていったことにも触れた。
なお、オプション企画として開催した「夏休みビデオカメラ入門」は、映像ジャンルとしては初のワークショップ形式に
よる事業であったことを付記しておく。
(越後谷卓司)
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音 楽 |
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音楽では、20世紀の音楽における重要な特徴を、「音と電子音楽」「エレクトロニクスとパフォーマンス」
「ミニマル音楽とアンサンブルの新境地」「声の周辺」の4回に分けて講義した。それぞれの講義では、「ポスト・モダニズム」の
再検証ということで、1980年代以降、目下活躍中の音楽家の活動も含めて取り上げ、CDやビデオを使って作品を紹介した。
様式の混合・解体がすすみ、既存の音楽からの借用や流用も日常的に行われている現在の多様な音楽が、20世紀の音楽の歴史的な
出来事や試みの延長線上にあることが理解できるよう、またそういった音楽の聴き所をつかめるよう、配慮した。
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溝入敬三
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アーティスト自身による講演としては、コントラバス奏者として現代音楽の分野で活躍する溝入敬三にお願いした。楽器のボディを
手で叩いたり、声を使ったりする現代作品2曲の演奏を交えながら、音楽に対する姿勢などを語ってもらった。間近で楽器の音を
聞きながらのレクチャーは、わかりやすく、受講生に大変好評であった。
(藤井明子)
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ダンス |
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20世紀の舞踊の歴史を踏まえつつ、1980年代以降の 新しいダンスの流れを中心に講義を行った。さらに
世界と日本の状況の歴史的な違いも考慮し、世界と日本のコンテンポラリー・ダンスの現状について、前半と後半に分けて
取り上げた。
「世界のダンス」では、簡単な20世紀の舞踊史の講義の後、特に活躍の著しい、ウィリアム・フォーサイスとピナ・バウシュに
焦点をあてた。「日本のダンス」では、80年代から盛んになった日本のダンス界の状況について、できるだけ多くのアーティストを
紹介し、多様な表現形式を紹介できるように試みた。
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ワークショップ指導中の近藤良平
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また実際に舞台を観たことがない受講者が大半のため、講義にはできるだけ
多くの映像資料を使用し、実際の舞台を垣間見ることができるようにした。初年度から開催のワークショップでは、近藤良平を
指導者に迎えたが、多くの参加者が初めてとは思えないほど、初めてのダンス体験を楽しんでいた。
(唐津絵理)
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